パカ山一行北へ
まちィ~でまんじゅこうて~
ひみで火ぃもろてやがみでやいてぇ~
こがぁ~でこんがらがしてぇ
くやまでうちくうたぁ~
長崎市内を出て、時津街道へ。途中爆心地付近を通る。
爆心地付近は民家、学校、教会しかない場所である。
雲の切れ間から三菱のマークを見つけたので投下したというが、どこ狙ってんだか。
付近の学校にはプールがない事が多かった。
なぜなら原爆投下直後、処理に困って手当たり次第に遺体を埋めたらしく、迂闊に掘ると遺体を掘り当ててしまうからという噂を聞いたが真相は不明である。
川にも、水を求めて息絶えた遺体が折り重なり、当時小学生だった母親は「見たら忘れる事が出来なくなるから」と見に行かないように先生に止められたそうである。
造船所の近くの我が家は爆風で家のガラスが四散しただけで済んだ。
今にも落ちそうな状態で立ち続けている。
昔、行商の魚売りがこの下を通りがかり、「落ちてから通ろう」と待っていたら売り物の魚が全部腐ってしまったそうな。長崎の人間なら誰でも知っている逸話である。
時津も随分変わってました。26聖人が上陸した海岸もドブじゃなくなってたし、パカ山の母校付近もまるで別世界。
かつてラドンが破壊した西海橋も、隣に第二西海橋が出来てた。針生(はりお)の電波塔が見える。「ニイタカヤマノボレ」の暗号電文を発信した由緒正しいアンテナであるが、先ごろ引退したそうだ。雪風の故郷でもある佐世保は目前である。
この辺りは田平町日ノ浦と呼ばれる部落で、平戸藩士への上納米の集積地だった。ここから船で城下へ運ばれたそうな。
墓へ行ってみました。まぁ予想通りのジャングルでした。移転の予定ですが、昔の墓なので曽祖父の代以前は土葬(!)だし、夫婦ごとに墓石を立てていたので撤去費用は相当なものになりそうです。長男じゃなくて良かった?
平戸街道入り口。
参勤交代時に殿様が通る道です。かつては松並木でした。小3の時この坂を自転車で下ってきたパカ山はブレーキの不調で直進してしまい転落しました。痛かったです。
お寺に行くまで少し時間があったので中瀬草原に行きました。毎日のように通った遊び場です。
ユースホステルもあります。
発売間もないRZ350でツーリングに来ていたお兄さんを見つけて、「うわー、さんはんやぁ~」と友人と取り囲んでベタベタさわりまくった事もありました。
見上げるとこう。
普通に上り下りしてた懐かしい場所のはずなのに少し怖かったです。
まずは肉弾三勇士のうち2名が平戸の出身です。
え?知らない?
映画「二百三高地」の冒頭、ロシア軍に銃殺された人です。東清鉄道爆破の任を帯びて満州に潜入し失敗。目隠しを拒み、大日本帝国万歳を叫んで銃殺されました。
まぁ、正直言うと、土地の人も知りませんから。
「肉弾三勇士」も知らない人多しです。
しかし平和な時代で良かったなぁ。
今、平戸の名士と言えば、ジャパネットの高田社長でしょうか。
平和ですねぇ。
最後に、
実は大変有難い画像なんです。
機動戦艦ナデシコでナデシコが建造された佐世保弓張岳からの景色です。
この地下から海に出るんですよね。
なんか有難くなってきませんか?
・・・なわけないか。
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コメント
九州は上陸したことが無いのですが、長崎と言えば、坂の町ですよね、期待通りの坂の写真に感動してます。
話は変わりますが、今度の日曜に、又、○口でゲームが有るので良かったら、参加して下さい。
投稿: 弐の槍 | 2007年5月 9日 (水) 17時41分
ゲームのお誘いありがとうございます。
是非参加させて頂きます。
ワクワクです。
投稿: パカ山 | 2007年5月 9日 (水) 18時18分