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2007年5月 7日 (月)

来た見た吐いた

― 長崎

戦国期、人口わずか二百人余りの深い入り江の奥の村に、南蛮貿易のための港が開かれた。キリシタン大名大村純忠が開いたこの港は秀吉の九州征伐により豊臣家の直轄となり、江戸幕府のオランダ商館移設によって開発は加速、幕府の天領として様々な商人が集められては業種毎に商人町を形成した。以後随時要塞化され、鍋島藩、黒田藩が防衛の任に就いた。港湾各所に砲台跡が今も残っているがあまり知られていない。「城が島までおろしゃ(ロシア艦)がぶらぶら」(長崎ぶらぶら節)と歌われた「城が島」も現存している。幕末には造船所が作られ、政府管理を経て岩崎家に売却。三菱財閥の礎となった。要塞化は更に加速し、大正時代には九州最大の都市にまで成長するも(大正9年には全国7位)、第二次大戦では米軍による原爆の投下を受け、その被害は凄惨を極めた。三菱長崎造船所は大和型戦艦武蔵の建造を経て、戦後の「造船日本」の中心的役割を果たした事は周知の事である。

・・・・というわけで、久しぶりに長崎に帰ってきました。

Img_0078じゃーん!
 

長崎ですが、何か?
 
 

 

Img_0102パカ山が転倒以外で初めてバイクのステップを擦った思い出の下りコーナーですが、何か?

Img_0103後ろはさださんのお店だったりしますが、何か?

Img_0105_1真ん中の階段を上ると裏通り。
観光客は上がりませんが何か?

Img_0107_1裏通りの「チラリズム」ですが何か?

Img_0109えーい、面倒だ!
みんなまとめてご招待してやる。画面奥へバスで来るべし!

Img_0164すぐにこんな景色だ、チキショーめ!手すりなんか無い命がけの通学路だったのがこの有様だ。

Img_0122これが長崎のごく一般的な家じゃ!

Img_0120あった、あった、うちじゃ。
正確には母の実家なのでワシらは居候だったのじゃ。

え、どれかって?

・・・んっと、多分・・・上から6段目位の左から5軒位じゃ!

Img_0125ささ、バスを降りたら歩きましょっ!

・・・・そうですよ、登るんです。

Img_0128上見たってこんな景色ばかりだから黙って登ろうね。

Img_0137もうすぐ頂上が見えますからね。チャキチャキ登ってね。

Img_0138ほら、急坂はこれで終わり。

Img_0141あとは坂も緩いからラクチンですね。

あ、門くぐってからも階段ですからね。

 

え?

もういい?

せっかく人が招待してやろってのに、遠慮すんなよ。

わいらは毎日昇り降りしてたんじゃー(涙

これくらいで諦めんな!

Img_0114 
・・・ってなわけで少しワープして、玄関からの眺め。

 

 あり得ない・・・。

 

Img_0116コンビニに行くついでに斜めから。

 やっぱあり得ない・・・。
 
Img_0129・・・・入口ですが、何か?
 

若者は出てってしまって、年寄りばかりが住む坂の街。

 
車?

走れると思う? 
 

ゴミの収集を馬でやる地区もあるそうな。
 
ついでに言うと、自転車に乗ったこともない人が大半です。
 

さて初日から飲み過ぎて、それでこの坂登ったもんだからゲロしちゃいました。

翌日はお呼ばれで大浦天主堂の近くまで行きました。

Img_0145_1・・・大浦天主堂の「近く」ですが、何か?

Img_0160吐いた直後のビールはうまかった!

・・・って、ひとんちで飲み過ぎだろ、オレ!

 

次回は県北をご案内します。

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