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2014年6月 8日 (日)

ギフ・ン村でのあつい戦い

某年6月1日、某川の支流に位置する岐阜県はギフ・ン村は米越両軍の集結により一触即発の状態にあった。
既に一部部隊に於いては前夜からのアルコールによる戦力増強でテンション上げ上げの極致であったようである。焼けた肉と炭のくすぶるにおいが辺りに漂い、さらに継続中であった(うまそうw)。
二等兵のアスと私が所属する第二小隊が現地に到着したのはそのタイミングだった。それは米軍の攻撃開始のほんの数時間前、サバゲで言えば「早過ぎじゃね」なタイミングであった。

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↑オレw 

こういった大規模な作戦は首都周辺で行われる事が多い。ギフ・ン村でこれほどの攻勢を行うためには、行政に対し詳細に繰り返された説明による確実な作戦の許可と、地元住民への粘り強い交渉による作戦承認があった事は特筆されるべきだろう。

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ギフ・ン村に集結した部隊は、コマンドポストで作戦の概要を受け取った。
陸軍のみならず、多数の海兵、そしてシールズ等の特殊部隊の多さが、ルーティンではない今回の作戦の重要性を物語っていた。

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記念撮影。(両はじかなり切れてるとか敵味方混在とかまぁあんまりつっこまないでねw)

気温34℃。

各隊はそれぞれの隊長に従い、各隊長は司令部による一元管理を受ける。
現場を(わざと?)無視した命令が無線で飛び、その度に死傷者が続出する。
(つーか、マジ隊長さん大変でしたね、お疲れ様でした)

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一度ジャングルに入れば1時間以上の作戦行動が続く。
水筒から水を飲み、ポケットから塩を出してなめる。
約4kgの重さがあるボディーアーマーは昼には脱ぎ捨てた。
それでもヘルメットと基本装備だけで10kg近く、加えて拳銃、銃剣、弾倉、水、そして銃と、合わせれば相当な重量になる。ただ歩くだけで体力を消耗する。
ブッシュは濃く、ただ撃ちまくるだけでは弾丸のムダである。確実に狙って仕留めなければ20発(しか込めてなかったの。えらい?)のマガジンは虚しく空になる。初戦、M16では殆ど撃つ機会がなく、確実に倒したのは一人だけ。続いて使ったM14では確実4人(そんでやられた数はその倍w)。

午後2時、最も気温が上がった頃、この戦いにも終末が訪れた。
勝敗の行方など我々一兵士にはどうでもいい事だった。

敵の激しい攻撃からまるで逃げる様に戻った司令部で、我々は隊長から帰還を告げられた。そう、故郷へ帰るのだ(いや、みんな帰んないとやばい大人ですけどねw)。

こうして我々の戦いは終わった。しかし故郷はまだ我々を温かく包んでくれるのであろうか?そしていつかまた、再び故郷を離れ、この戦場で命を懸ける自分達が居るのかも知れないと思うのである。

コマンドポストのO司令、副官のワークマン氏、アス二等兵、そして隊長には特に明記して感謝の意を捧げるものである。

最後にその日ギフ・ン村に集った全ての人にお疲れ様、ありがとうございましたとお伝えしてこの駄文の末尾としたいのである。

 

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