2012年4月18日 (水)

ゲートルについての追記

こんにちは、パカ山です。

たまにこんなこと言われます。

「あのブログ、鉄砲以外のネタも多いよね」

なんつーか、残念なブログですいません。

でも反省はしていないの。

 

G2 というわけでゲートルについての追加記事いってみます。
過去記事ではマニアの方向けとしては薄すぎる内容しか書いてなかったから、少しだけですけど情報量を増やしておきますね。まだまだ全然足りませんけど勘弁願います。
いちおう写真の品物は戦時中だかに作られた実物で、これは足に巻く前の状態です。
足から外した時は裏表逆の状態で巻かれてたりするので、足に巻く前には写真の様に娘さんとかに準備して貰っておきましょう。

G2_1


これを拡げるとこうなります。
そうですよね、こういう写真を載せないとダメなんですよね。
残念ブログですいませんでした。ワラ

G2_2


幅は3寸。ほぼ9cmです。
丸くカットされた先端と縁の処理もご覧の通りです。

G2_3


ゲートル本体の長さは実測2m40cm強。つまり8尺って事でしょうね。

G2_4 縁のアップ。
約2mmの幅で縫ってあります。

G2_5


こんな感じの処理です。

G2_6


ゲートルの終端は三角に折られて縫ってあります。

G2_7


裏返してみます。
裏へ三角に折った内側に紐を折り込み、写真の様に縫い付けています。
紐の幅は約2.1cm。つまり0.7寸です。
紐の長さは三角形の底辺からの実測値171cmでした。
紐の先端は特に処理されず単なる切り落としです。

G2_8


紐自体は杉綾織です。厚くて丈夫な綿製のリボンです。

まとめとかは今日はありません。

ただ、一式戦隼はどこのプラモを買えば良いのか迷っています。
隼って数字に表れない部分のスペックが高過ぎですよね。

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2012年3月15日 (木)

日本人として生まれた必然!

どうもこんにちは、パカ山です。

ず~いぶん経っちまったんですが、ヒストリカルゲームに参加してきましたよ、一年半前で恐縮ですが。

120  

主催は「ひよこ」さん。サバゲチームがそこそこ多いこの辺りでも特に素晴らしいチームさんです。家族でバーベキューしながら、お父さんたちはサバゲ、子供達はアウトドア(&社会勉強)、奥様方は井戸端という、もうね、理想そのものですよね、なんとも羨ましいチームです(楽しかったです、ありがとうございました)。

1_2  

おいらは右から二人目。帽垂れとヒゲの南方装備です。

2_2  

ゲーム中のひとコマ。

この写真の中に溢れる信頼関係が凄いです!

3_2  

暁の出撃。

 

この時の模様は動画にて投稿されています。

ちなみにYouTubeはこちら
冒頭、最前列でキョロキョロしている、網かけ鉄帽に帽垂れの日本兵がパカ山です。

 

ひよこさん、ホントにありがとうございました。

 

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2007年7月 6日 (金)

九九式・・・

TANAKAの九九式短小銃のガスガン、良いものだそうですね。

部品によってはモデルガン以上の仕上げだとか。

実射性能は・・・・まぁ、そんなのは求めてはいけないものだそうです。

 

しかし、TANAKAが九九式を発表したのでKTWは自社の九九式を絶版にしたとか。

何でも他社との同種の銃での競合は自主的に避ける方針だそうで。

KTWって、イカス。

でもね、個人的にはKTWの九九狙撃銃が一番欲しかったので絶版は残念です(買うお金が溜まる前に絶版とは、トホホ・・・)。

Img_0127KTWのサンパチ式の試作品を撃つパカ山
(アームズマガジン2002年7月号より)

何といっても、KTWの旧軍の銃はよく当たる。実際に撃って感動したもん。

しかし、おいらは生まれつきの貧乏で、贅沢は看護師(妻)に厳しく制限されてます。だから九九狙が出た時は嬉しかったけど買える訳がありませんでした。

ふぅ、貧乏人は麦を食うしかないか・・・。
1_7絵でも書いて気を紛らしてみた。

違う意味で余計に悲しくなるだけだった。

 

Photo_387
しかし、モデルガンだけは持ってるのだ。
こうやって装弾する楽しさはエアガンでは味わえないぞ。

モデルガンはいつか亜鉛の腐食で砂になる運命で、事実少しずつ痛んではきてるけど、まだまだ数年単位では問題なさそう。

こいつでサバゲ出来たら楽しいだろうなぁ。

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2006年12月13日 (水)

九〇式鉄帽のヒモの結び方

Photo_181全国の愛国者の皆さん、こんにちは。
自分はパカ山一等兵であります。
今日は我が戦友というか娘の友達である
プ・・、イ、イヤのらくま二等兵とともに、
帝国陸軍の標準的な鉄帽の被り方を紹介
するつもりであります。

「クマよよろしくな」

Photo_182「はいであります!」

M1ヘルメットと比較するとこの通り。
キモーチM1の方が大きく見えるのですが、M1は耳の辺りが張り出してるし全体に膨らんだ形状なのでそう見えるだけの様な気がします。
鉄帽はフチが平らなので背中に背負ったり出来ます。でも頭頂部に通気穴が四つ開いてるのでバケツのような使い方は出来ません。

Photo_171私の鉄帽は中田商店で購入しました。ライナーがレプリカで、ヒモも実物と取り回しが異なっています。
向かって右側が前ですが、この鉄帽ではヒモは一本で、後頭部のリングに結びつけた後左右のリングに通していますよね。しかし実物は長短2本のヒモを使用し、いずれも左側のリングに結び付けられています。短い方はそのままアゴひもになり、長い方は後頭部のリングに付けられたヒモのループに通してから右のリングに通します。結局形は同じなんですけどね。ちなみにその状態でのヒモの長さは右側の方が長くなっています。理由は分かりませんけど背負いやすいのは事実です。

Photo_172早速被ってみましょう!

まずは下準備。
耳がおさまる部分を作っておきます。
左右のヒモを後頭部側に引っ張ります。
鉄帽のフチから少しはみだす位に控えめに
三角を作ってください。

Photo_173「さて出番だのらくま二等兵!」
「おう、まかしとけ!」

今回は帽だれ付きの略帽の上から被ります。
耳の部分の三角と、まっすぐ下に垂れ下がったアゴヒモが分かりますでしょうか。

 

Photo_174Photo_175







次に右側のアゴヒモを左側の三角に通します。三角が引っ張られるので耳の下まで伸びてきます。右側も同様です。

2_2Photo_177 







左右通し終わったのが左の写真です。
最後に蝶結び。
ヒモの長さが左右で違うので右頬で結びます。きれいに結びましょう。
 

2帽だれを外に引っ張り出して完成であります。

「ありがとうクマ!」

皆さんもぜひ90式鉄帽をゲットして
ハッピーなコスプレライフを送ってください。

 

Photo_179今回は一般的な陸軍の結び方です。
しかし鉄帽のヒモの結び方には多数の
略式のやり方があります。

左はその例です。
さっと被って蝶結びできるように最初から
三角に結んであります。

Photo_180もひとつおまけ。
鉄帽を被る時は略帽を後ろ前にするのが正式です。今回の例は帽だれ付きの略帽の上に被る場合ですので注意してくださいね。

そういえば「鉄兜」と「鉄帽」と二つの呼び名がありますけど、どっちも正解です。もともとは武器の一つとして考えられていたので「鉄兜」と呼んでいたのですが、後に「被服」として軍服の一部になったため以後「鉄帽」が正式な呼び名になりました。つまりは帽子の一種なんですね。

いかがでしたでしょうか。

何でいきなり「鉄帽の被り方」なのかと言うとですね、実は「ゲートルの巻き方」の記事へ検索から来てくださる方が意外に多いんですよ。
世の中には隠れ日本兵がまだまだ沢山いるんだなぁと思いました。

そんな、かつてのパカ山の様な方々へこの記事を捧げます。

それでは皆さんお休みなさい。

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2006年12月12日 (火)

九〇式鉄帽

Photo_166こんにちは、XM16E1を持って日本兵のコスプレをしたりするチグハグなパカ山です。

愛用の鉄帽で「ヒモの結び方」をやりたいのですが、自分で被って自分で写真撮るのも難しいのであります。
そうなると誰かモデルが必要であります。
うーん、困ったなぁ。

2_3「パカ山一等兵殿、
 そんな時には自分が居るではありませんか」

「貴様はプ・・、いや、のらくま二等兵!
正体がバレないように文字通り一肌脱いでくれて、・・・・・って素っ裸ではないか」

 
 
次回「のらくまと学ぼう、鉄帽の被り方」にご期待ください。

   
 

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2006年11月15日 (水)

ふんどし

こんばんは、パカ山です。
何度言ったか分かりませんけどXM16E1が好きで、ついでに言うとM16A2はあんまり好きじゃないです。

パカ山は高校2年生の後半から下着にこだわる様になりました。

ちょっと写真ははばかられるのですが、それまでの「白いブリーフ」から「越中ふんどし」へ進化したのです。某国立大の教授でもあった私の親友のお父上は越中ふんどし派の方で、遊びに行くと物干しにふんどしがたなびいている何ともステキな家庭でした。
しかも奥様がすーっごくキレイな人でしたのでおいら悟りました。

「勝負下着は女性専用」

つまり日本男児にはふんどしがオススメ! マイナス要因一切なし!

まずはブリーフを引退し、早速越中ふんどしをその親友経由で頂きました。
一着だけの貴重品。洗濯の間はトランクスに移行しました。

越中ふんどしにはあるけど、トランクスには無いものってわかりますか?
・・・・それは「セクシーさ」ですよ。ブリーフにはかないませんけどね。

バイクで事故って手術台に横たわると「T字帯(てぃーじたい)」と言う名のふんどしが増えます。よって大学時代にはふんどしに困る事はありませんでした。

そんでやっぱり日本軍の話をしますと、被服で自前の物は「越中ふんどし」ぐらいしかないのですけど、面白いのがふんどしで覆われたナニをですね、軍袴(ぐんこ、つまりズボン)を履く時に股の左側に入れる様に指示されてるのであります。

あなたは右寄り?それとも左寄り?

木綿のふんどしはあまり長持ちしないので今はふんどしをはいておりません。
「六尺ふんどし」が気になっている今日この頃です。

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2006年11月12日 (日)

ゲートルの巻き方

みなさんこんにちは、XM16E1と芥川龍之介をこよなく愛してやまないパカ山です。
このブログも今回がついに100記事目のアニバーサリーでございます。

「多くの人がホームページやブログを始めるのは何故か?」

・・・・そんなこと全くわかんないので今回のネタ「ゲートルの巻き方」にレッツゴー!

700_8これがゲートルです。戦前の人たちは「巻き脚絆(まききゃはん)」と言っていました。祖父は単に「脚絆」と呼んでおりました。実際どう呼べばいいのか分かりませんけど、戦時中はあらゆるものを日本語読みしていた関係上、「タンク」で通っていたものを「戦車」と呼んだように「ゲートル」を「ゲートル」と呼びづらくなったのかもしれません。想像ですけどね。

_1見苦しくてすいません。パカ山の足です。
誇下(こした)と靴下の上に脚絆を巻きますね。(実際は編上靴の上から巻き始めますので注意して下さい。室内なので編上靴を履いていない事をご容赦願います。)
写真は右足です。脚絆は内側から巻きますので右足は右巻きです。まずは靴の上からきつめに巻きます。 
 

_2そのままややきつめにふた周り程巻きます。
ゲートルの巻き方のコツは、きつめに巻く所と緩めるところを知る事です。足首を保護し血液の降下を防ぐ事で徒歩での体力の消耗を減少させるのがゲートルの役目です。従って足首では血液が降下しすぎないように耐Gスーツのようにきつく巻きます。しかし三周目位から巻きを緩めて血流の阻害は極力避けます。そしてこれが最も重要ですが、ずり落ちないように最後はきちっと締めていきます。この匙加減が難しく、ゲートルの品質にも左右されます。
_3_1_4

ふくらはぎの下部から足のカーブが変わるのでゲートルを折り返します。これがミソ。
ゲートルの巻き方を初めて知る人はこれがカルチャーショックみたいです。これを2回繰り返します。

_5_6_1

写真左は2回目の折り返し。右の写真はその後の様子です。ふくらはぎは極力ゆるく巻きたい所ですがここで一つ問題があります。
ゲートルはラシャ(ビリヤード台の緑の床と同じ)製ですが戦争末期の品はつるつるで滑りやすく、相当きつく巻かないとずり落ちてしまうのです。それでもきちっと巻かないと上官に怒られるのでかなりきつく巻く羽目になります。そうすると足の血流を阻害し余計に疲れます。質の悪いゲートルを与えられた兵隊にはゲートルは拷問でしかありませんでした。
_7一応折り返し部分(たけのこ模様)のアップです。

パカ山のゲートルは上質なのでずれにくいです。そのためついつい緩く巻いてしまいます。
高校の頃は40キロ以上を歩ききって全くずれませんでした。ニューギニアで戦った兵隊さんの直伝ですから気合入れて巻いてます。

_8_9写真左が「営内巻き」で右側が「戦闘巻き」です。
戦場においては戦闘巻きでした。

この写真ではゲートルの終端がひざの左下ですが、これは制裁の対象です。
靴を履いた自分の足の太さとゲートルの長さをキチンと把握して終端が外側に来るように練習しておきましょう。  

 

Photo_154改めて巻きなおしました。
右足の外側にゲートルの終端(三角になってますよね)がみえると思います。これが正式です。
ヒモについては適当に巻きます。ほどけなければよいそうです。実際には前線に出れば正直ゲートルの巻き方なんぞそんなにうるさくなく、左右とも右回りに巻いたりやり易いようにやってたそうです。ただほどけてしまうのは問題で、そこはうるさかったようです。戦闘中に枝に引っ掛けると命に関わりますし、逆に言うと新兵はよくほどけてたってことでしょうか。

はい、いかがでしたか、100回記念「ゲートルの巻き方」。

自分で巻きながら写真を撮るのは大変でした。

でもこの記事を100回記念にしたのは、パカ山といえば「銃剣」と「ゲートル」かなと思った事と、このブログに「ゲートル」をキーワードに検索して来てくださる方が意外に多かったことがあります。このブログがそういう人たちのホビーライフに潤いを与えられたら幸いであります。そのうち鉄帽のヒモの結び方とかもやろうかな?

それではまたまた。

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2006年10月20日 (金)

パカ山のカメラ

パカ山がカメラと出会ったのは多分誕生の日なのですが、マイカメラを得たのは25年程昔に遡ります。

写真有りませんが、リコーのバカチョン。ゼンマイ式の正方形2枚絞りのヤツです。
貰い物でしたが、マグネシウムのフラッシュバルブが高価ですぐ飽きました。結末はおもちゃ箱行きだったと思います。

Fujica35se700次のカメラはFujica35SE(昭和34年発売)です。本当の意味での初めてのカメラはコレでして、その後10年近くメインに使用しました。
実はこの子とはリコー以前からの付き合いで、祖父のメインカメラでした。やっとこ譲ってもらえたわけです。
 FUJINONレンズはシャープなだけで味がないとも言われてましたけど、このシャープで明るいレンズはホントに魅力的でした。レンズ付きフィルム全盛の時もこのカメラで撮った写真は画質の上で数段上でした。
レンズシャッターフルマニュアル機械式、F:1.9、45mm、シャッタースピードはバルブ~1/1000まで、そこまでやるかの8枚絞り、X接点&フラッシュ接点(切り替え間違えると致命的)、セレン露出計内蔵(平均測光)、二重像合致式のフォーカスノブにはフォーカスの範囲が彫刻してありました。多重露光が出来ず、レンズが交換出来ない事以外には全く不足が無く、社会人になっても唯一無二の相棒としてずっと使っていました。セレン露出計含めて未だに現役です。

Photo_141一応これで撮った写真です。
もっとまともな写真もあるのですが、探すのが大変で・・・。

既にゲートル巻きがトレードマークだったのがパカ山らしいでしょ? ゲートルの巻き方は適当に巻いて近所を散策していたある日、たまたま散歩していたニューギニア帰りの元日本兵に呼び止められ教え込まれました。この写真の頃には40キロ程度の行軍には全く支障なくなっていました。   

700ほぼ同時に祖父にもらったのがこの昭和25年製のミノルタ製セミ版カメラです。6×45の中判で、ロッコールF:3.5、75mm8枚絞りで、シャッタースピードはバルブ~1/500。中判らしく深度が浅く三脚に据えて撮るのがメインでした。
水没させたのか腐食がひどく、大抵のカメラ屋で修理不能と言われましたが、大学の裏手のカメラ好きのじい様が直してくれました。ジャバラが痛んで光線を引きますが、それ以外には作動は良好。現役で使えます。

さて、社会人も2年目になるとカメラにも多少色気が出てきて、Contax G1(レンズは45mm、28mm、90mmを購入)とCanon EOS5(レンズは型落ちの標準ズーム、35mm~105mm/F:3.5~4.5)を立て続けに購入しました。G1がメインでEOSはサブです。しかし一眼は便利でした。特に二重像合致等でフォーカス位置を確認出来ないG1は現像が上がるまでフォーカスに常に不安がありましたので、撮影時に確認できてフォーカスがバッチリな事が何より魅力でした。ただ写りには少々不満がありました。安いズームを使っていたのでG1の単焦点レンズにはかないません。おまけに持つ喜びを全く感じられない「家電」の様な感覚もあって割合に早く売ってしまいました。一方で家内用のコンパクトカメラとしてContax T2(ブラック)を買いました。
New_kiss
ただ、しばらくするとやっぱ一眼も一つは欲しいかなと。
そんで買ったのが中古のNEW EOS Kiss !
不満な点はレリーズのタイミングが0.2秒ほど遅れる事。
先を読んでシャッターを切る必要がありました。

ネパールで走るバスから爆弾テロを警戒する兵士の写真を撮った時には、相手がファインダーに入る直前にシャッターを切ったらドンピシャ写りました。そんな風にカメラの癖を知って使いこなす楽しさと軽量小型な所が魅力でした。しかし、使えば使うほどEOS5の良さを改めて思い知らされました。あんなに使いやすいカメラを他に知りません、・・・・不細工でしたが。

このカメラも随分長く使いました。1Nや3に何度乗り換えようと思ったか知れませんがこのカメラで充分でした。おいらのレベルには充分過ぎる性能でした。その後Contax G1も売却したので、このカメラが長らくメインカメラの座に居ました(1998年~2006年)。

Photo_143露出は基本的に内蔵露出計で中央重点です。
ただし三脚に据えたりする時はセコニックとグレーカードを使っていました。
平板は使わず光球専門。でも旧式なので部品が無く、割ったら大変。一度割ってしまった時は装着に苦労しました。

しかし、このNEW EOS Kiss も今年とうとう引退しました。
理由は、近所にまともなラボが無い事です。
いや東京でも少なかったですけど、こっちは酷過ぎました。

趣味ですし、現像等に金が掛かる事に納得はしています。それにフィルムが好きです。
しかし、デジカメで撮ってパソコンでいじった方がキレイなのは何故なのでしょう?
・・・・・・否、本来2700万画素以上の解像力とハンパない諧調表現を持っているにもかかわらず、高い金出して現像出した結果が「?」な画質だったりしている事実。
ネガに埃を付けて現像してパーにしてくれたり、うちの近所のラボは信じられない事を普通にやってくれました。

Photo_12ラボがプロの仕事をやってくれないならフィルムで高い金払って写真を撮る事は出来ませんのでとうとう我が家もデジカメになりました。

今のメインはCanon EOS Kiss Dijital N です。
最短撮影距離が短く、被写界深度が深いのが接写に最適です。KenkoのクローズアップNO.3をレンズ前に装着して、絞りは29~32まで絞って長時間露光しています。
露出が気に入らなければすぐに消去して撮影再開。・・・便利すぎてもう戻れません。

フィルムの危機とか言われてますが、ラボのせいだと思います。

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